人に流されやすいといわれてもかまわない。

ちょっと思うことがあったので書いてみたいと思う。プロの発言ってすごいと思う。ある日記で友人である30号さんが流行について書いていた。(削除して欲しいのなら言ってね>30号サン)

ある人が服の流行について書いていたことに対してこうコメントしていた。(以下は原文のまま)

>服なんかすきに着てりゃいいんじゃないかなぁと思う。
>流行て、無いと売る側も着る側も困るんじゃないかなぁ。
>服って自発的に選んでも店員に勧められても
>誰かのマネでも着るのを買うのを選んだのは自分の意志なんだから
>全員個性的でそのひとらしさだと思うよー。
>誰かと比べるなら「らしさ」て必要かもしれないけど
>そうじゃないなら必要無しでないかなぁ。

これってすごいよね。言えそうでいえないことだと思う。流行なんて…って言っている人も、流行に乗っている人も両方が真だといえることよね。個性的というのは選択だということ。比べるということはいつにしてもあるけれども、それは没個性になってしまうことがあるのよね。今の世は没個性が個性といった形になっているけれども、それはそれでありだったりするのよな。個性的ということはっていう言葉がなくなってくる世に入りつつあるのですな。ということは、おしゃれであるか否かということも結局はその本人の捉え方になっていくのかもしれないな。今現在のお洒落って言うのは多数決的な形である。それがなくなっていく世になるのかな。自己満足というのが大きくなっていく世になるのかな。けれどそれは流行という流れに流されていくんだけれど。服というカテゴリーに生きていく人はそれなりに戦っていくのよな。他のカテゴリーでもそうだけれど、考えるということは自分を良く知っているということなのよな。尊敬するなあ。自分もそうでありたい。鍍金な自分というのはいやだからな。勝手においらがスタイリストやってよーといってますが、ほんとにスタイリストをやって欲しいもんな。おれもそうやってもらうように頑張らないといかんよな。ちょっとしんどいとかで愚痴言ってらんないわ。ほんとに。